ボレロからチゴイネルワイゼン、そしてさらにボレロへ


一番最初に村上愛を見たのは、「がんばっちゃえ!」の PV でのメイキングだったっけ。あの大きな瞳を輝かせながら、「むらかみめぐみ、小学四年生です。」と自己紹介する姿が妙に印象的で、ハロプロキッズの中では顔と名前を一番最初に覚えたような気がする。そのときは、日本人にはよくある姓と名をくっつけたあまりインパクトのない名前だと思ったけれど、後になって実は「めぐみ」は「愛」と表記するところにちょいと驚いたエピソードもあり、また、ZYX では「白いTOKYO」でセンターに立って雪の結晶と共に笑顔を輝かせていた彼女の魅力が素晴らしかったということもあり、さらには、口に手を当てて控えめに笑う他のメンバーとは違って豪快に大口を開けて笑う姿もありで、それだけに ℃-ute の中では特に注目していたメンバーだった。それだけに……。



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上の「がんばっちゃえ!」のメイキング映像に映る空のような色をバックに、控えめに全体の半分ほどの幅にゴシックの文字が寂しく並ぶこの大事なお知らせ(正確には、はてブに表示されるエントリの見出し)を見た瞬間、自分の中にサラサーテの「チゴイネルワイゼン」が流れた。衝撃的という意味と、別れを認めたくないという意味で、ショパンの「別れの曲」よりも「チゴイネルワイゼン」が相応しいと私の CPU が判断したのかも知れない。ただ、真実とは何なのかを知る術がない無力感と不信感から生まれる想いは、「別れの曲」の中盤の激しい曲調にも一致するようにも思える。℃-ute というポップなユニットを目の前にして、なぜにこんな「哀」の曲を聴かねばならないのだろう。どうせなら、「愛」が聴きたい。愛による「愛」が聴きたい。大きな愛で……もてなして……。でも、なぜか聴きたがらないもう一人の自分がいる。なぜだろう……。「哀」が勝ってしまう。どうしても「愛」がアクティブにならない。




誰か、上の「大事なお知らせ」を信じる方法を教えてくださいな。「愛」を聴きたい自分も「愛」を聴きたがらない自分もこの点は同意している感じ。"学業に専念する為" "脱退"。学業専念なら「卒業」が適当な用語だとは思うけれど、百歩譲って "脱退" だとしても「脱退する事をご報告致します。」ではなく、"脱退したことをご報告致します。" ッスか。様々な視点で見ても「わっきゃない(Z)*1。これで「うーん、残念だけど仕方ないなぁ。めーぐる、頑張れ!」というように納得するファンの割合が知りたい。



℃-ute にとってはまさにこれから盛り上がって行くという時期、という意味ではラヴェルの「ボレロ」の演奏が始まったばかりである。「ボレロ」とは Wikipedia に載っているような楽器で壮大に演奏される曲なのだけれど、℃-ute の各々のメンバーが足音と息を揃えて活動している姿は「ボレロ」に似ている気もする。村上愛がいなくなった ℃-ute も、今までと変わらず、息と足音を揃えて前へ進んで行ってほしいと願うばかりである。ただ、トランペットやチューバ、大太鼓、もしくはそれ以上の存在感を奏でる村上愛がいなくなるのは、残念でならない……。不安で仕方がない。


*1:ここでの「わっきゃない(Z)」は、「そんな訳ないぜ(It can't be)の意」